>>539
当時でも朝鮮人が日本国の支配を受けることはほとんどの人々が喜ばなかった。
むしろ中国やロシアに対して親しみの感情を持っていた。
特に中国に対しては歴史的に見ても明らかだが、言葉の上からもそういえる。
大唐国新羅郡 とかつて名乗りをあげていたほどに。

豊臣秀吉が来たことは、朝鮮にとってこれほど屈辱的なものはなかったかもしれない。
ほぼ全ての朝鮮人はこのことを知っている。
また国王に対してはどれほどの親しみを抱いていたのか、コドゥンを知ればそれがわかる。

大院君の行いはたしかに事実であった。三浦子爵と結びついていた。
これらは日本国と主張が同じである事実と言える。

が、この時代、議会もなく国民の意思を汲み取る制度的なものは存在せず、国王がその国家の意思を表すといえた。
その国王に脅迫を行い、清国からの独立をして、日本の都合のいい行政改革を行った。
これらの政策はたしかに古来の朝鮮の腐敗政治を正そうとする善意のものであると私は信じる。
日本国の兵士は概ね礼儀正しく、統率が取れていた。
が、非常に傲慢であったこともまた事実である。
些細なことにも禁令を乱発し、民衆を混乱させた。そして反発した。
それまでの慣習をことごとく否定する日本国のやり方は、洗練されていなかった。
同じことが日本国で行われれば、たとえそれが正当な法令であったとしても日本人でも反発しただろうと考えられる。
このような事実も知っておかなくてはならない。