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かつを風味の

1 :私事ですが名無しです:2006/11/15(水) 03:03:04 ID:???
フンドシ

2 :メロリン(^Q^):2006/11/15(水) 03:50:29 ID:???
古ぅ〜

3 :ピーコ:2006/11/15(水) 05:54:02 ID:???
鰹風味のホンダシビック

4 :私事ですが名無しです:2006/11/23(木) 17:10:15 ID:???
ツマンネ

5 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 19:43:06 ID:???

 第一義的には、中国問題解決を有利に転じるために参戦した日本は、戦争中、大きく分
けて二つの方法によって、その目的を達成しようとします。一つは、連合国側への戦争協
力への見返りに、膠州湾や南洋諸島をはじめとするドイツ根拠地への実質的支配権の獲得
を、列国に認めさせておくことでした。一九一七年二月四日、イギリスが、駆逐艦の地中
海派遣を求めてきたのを機に、それは達成されます。同年二月十六日、イギリスは、「講和
会議の際、山東に於ける独逸の諸権利竝赤道以北の諸島に於ける独逸の諸島に関し、日
本の提出する要求を支持すべき旨の保証を得んとする日本政府の冀望に対し、茲に欣然応
諾の意を表す」旨を日本政府に通知しています。同様の措置により、日本は仏露伊からも
極秘覚書というかたちで、来るべき講和会議のときに獲得される権益の相互保障の文書を
交換しています。
 もう一つは、袁世凱の北京政府と南方の革命派が対立していた中国に対して、日本側の
包括的な要求を認めさせてゆくものでした。これが、のちに、「対華二十一ヵ条の要求」
と呼ばれたものです。外交交渉の常識からいえば、加藤外相の交渉ぶりは批判するにあた
いするものではありましたが、第一号から第五号までの内容は、たしかに、元老・外務
省・陸軍省などの政府、そして在野の要求の最大公約数であり、閣議決定、元老の内諾、
天皇の裁可など、正式の手続きを経て起草されたものでした。基本的には、確信をもっ
て、みずからの欲するところを率直に表明した文書であったと位置づけられます。


6 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 19:46:13 ID:???

 この要求は、青島攻略が成功したあとの、一九一五年一月十八日に中国側に伝達されま
した。第一号は、山東の処分問題であり、山東省に関して、日本政府が将来的にドイツ政
府と協定すべき内容について、中国は承認を与えなければならないとの事項を含んでいま
した。第二号は、南満洲と東部内蒙古に関する日本の利権の拡張であり、旅順・大連の租
借期限(本来は一九ニ三年まで)と南満洲鉄道(本来は一九四〇年まで)、安泰鉄道(本来は一九ニ三
年まで)の期限を九十九年間延長する事項を含んでいました。この日中間の交渉は紛糾
し、その数二十五回にわたって会合を繰り返しましたがまとまらず、結局日本は五月七
日、第五号(日本人政治顧問・警察顧問の招聘、福建省開発の独占、日本からの一定の数量以上の兵器
供給)を撤回した上で、最後通牒をもって中国側に要求をのませました。中国側は受諾し
た五月九日を「国恥記念日」としています。


7 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 19:59:35 ID:???

 元老の山県などは、一連の交渉を批判し「対支関係に付各国の情況を取調べず、訳の分
らぬ無用の箇条まで羅列して請求したるは大失策なり」と、加藤外交に対する不満を述べ
ています(『原敬日記』一九一五年七月八日の条)。政府、ことに加藤外相が各国の情況に無知で
あったと山県がいっているのは、具体的には、アメリカからの干渉を惹起したことです。
それを次にみてみましょう。
 この間、日中交渉の経過をみていたアメリカは、三月十三日、まず、「日華交渉に対する
米国覚書」を発して、第一号、第二号については、「米国は領土の隣接により、日本と右地
方間に、特殊の関係の存することを率直に認め」るので、この際問題を提起しない旨を述
べるとともに、第五号の第四項(日本からの兵器の一定量以上の購入)と同第六項(福建省に関す
る開発の独占)は、他国の商工業に対する機会均等主義に反する、との判断を明らかにして
日本を牽制していました。ただ、重要な点は、この時点においてはアメリカも、山東省の
権益問題と南満洲に関する権益の強化については領土の隣接による特殊関係にあたるとし
て、日本側の主張をやむをえないものと認めていたことです。


8 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 20:06:00 ID:???

 しかし、アメリカは、日本が中国に最後通牒つきで日華条約を締結させたのをみて、五
月十三日、改めて日華両国に通告をおこない、中国の領土保全と門戸開放に違反すれば、
不承認であると伝えてきています。この干渉を直接的に招いた条項は、第三号第二項(漢冶
萍公司に属する諸鉱山付近における、他国の鉱山開発制限)と、第五号第三項(地方における警察を日
中合同にし、中国の警察官庁に多数の日本人を雇用する)であるといわれております。ここで重要
なのは、アメリカが問題としていた条項が、ともに日本政府や出先によってすでに撤回済
みの条項だったことです。外務省とアメリカとのあいだに意思疎通の欠如があったことは
確かでした。
 こうして、「対華二十一ヵ条の要求」は、二つの条約と若干の交換公文となって成立しま
した。条約の一つは、一九一五年五月二十五日に調印された「山東省に関する条約」であ
り、二つめの条約は同日調印された「南満洲及東部内蒙古に関する条約」でした。これら
の条約によって中国側は、今後締結されるべき山東省に関するドイツと日本の協定の一切
を認めなければならなくなりました。つまり日本側は、ニ三年に予想される権益回収を拒
絶できる根拠を得たことになります。日露戦争後の諸懸案のうち、満洲権益の永続的確保
と、中国への支配を強化するためのドイツ権益の継承については、以上みてきたような、
大戦中の活発な帝国主義外交によって、すなわち、列強からの承認確保と中国自体への圧
迫策によって、達成されたかにみえました。

9 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 20:11:01 ID:???

 しかしこの後、一七年八月十四日、中国がドイツに宣戦布告したことで、独中間の諸条
約などが一切廃棄される事態になり、中国などは、山東省におけるドイツ権益そのものが
すでに消滅したとみなされるとの立場をとるようになります。講和会議での火種が、ここ
に胚胎されてゆきます。ただ日本側の解釈では、先の一五年の「山東省に関する条約」に
よって、日独間の山東省に関する協定を中国側はすべて認めなければならないとの制約を
すでに課していたことで、中国の対独参戦による権益消滅論には対抗できると考えられて
いました。
 さらに大戦終結までの期間に、日本側はもう一つの周到な秘密外交の「成果」を挙げて
います。寺内内閣の時期には、中国の正統政府である段祺瑞への財政援助をおこなう方針
がとられ、いわゆる西原借款の下で、さまざまな交換公文が積み重ねられるようになりま
した。その一つが、一九一八(大正七)年九月二十四日の「山東省に於ける諸問題処理に関
する交換公文」で、膠済鉄道沿線の警備にあたる巡警隊指揮のための日本人招聘を認めさ
せ、膠済鉄道沿線の日本軍隊を済南と青島に置くことなどを認めさせていました。この日
中間の交換公文が公表されたのは、実に一九年一月十八日のパリ講和会議の審議開始か
ら、かなり時間のたった四月九日であり、山東問題で日本を厳しく追求していたウィルソ
ンなどは、会議の席上、初めてこの文書の存在を知り、衝撃を受けることになります。


10 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 20:16:25 ID:???

 日本は、一九一四年十月十四日、赤道以北のドイツ領南洋諸島を占領し、同年十一月七
日には青島占領に成功しました。現在の感覚で考えれば、日本がドイツへの最後通牒で、
膠州湾租借地全部を「支那国に還付するの目的を以て」日本に交付するよう求めているこ
と自体、租借地に対する主権を有する中国に、なぜ直接還付すると述べないのだろうかと
の疑問が生じます。
 しかし、当時の社会にあっては、たとえば吉野作造が「対華二十一ヵ条」を、「帝国の立
場」からみて「大体において最小限度の要求」であり、「支那にたいする帝国の将来の地歩
を進むる上から見て、極めて機宜に適した処置」とみていたことからも察せられるように、
日本の手に一旦は保有すべきであるという感覚は、珍しいものではありませんでした。ニ
十一ヵ条交渉の際、山東を還付する旨の日本側声明を条約文中に残すように中国側が主張
したのに対して、加藤外相は、還付声明はドイツが無抵抗のまま明け渡す事態の場合を想
定していたのだから、現実に日独間に戦闘がおこなわれ、日本とイギリスの勝利に帰した
今や、容易に還付できるものではないと回答しています。ただ、とにかく還付することに
ついては、四月二十二日の日本側最終譲歩案の段階で明示されることになりました。軍事
力を発動し、ドイツ軍を敗退させたのは日本なのだという認識が、生じていたのです。


11 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 20:19:49 ID:???

 パリ講和会議に海軍代表随員として参加したことで知られる竹下勇は、大戦勃発時には
海軍軍令部第四班長でした。その竹下は、青島攻略作戦期の中国側の態度について、「支那
政府は今尚我軍の山東鉄道占領に抗議しつゝあり。頑迷の徒、済度し難し」(一九一四年十月
九日の条)であるとか「日置公使の電によれば、支那政府は又復我軍山東鉄道占領に抗議を
呈出す。袁の芝居驚くの外なし」(同年十月十三日の条)と日記に書き留めています。
 中国側が中立侵犯について抗議しうることは、先にみたように、山県なども自覚してい
たことでした。竹下がそれを知らなかったとは思えません。おそらく竹下には、このほぼ
半年後に外務省政務局長室に参集し、対中国政策を協議策定した外務省幹部・参謀本部
員・軍令部員などと同様に、袁世凱に反対する心情があったためでしょう。第二次大隈内
閣において、第三革命(袁世凱の帝政阻止のために立ち上がったもの)で立った南方の護国軍を援
助する政策が閣議決定されるのは、一九一六(大正五)年三月七日のことでした。


12 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 20:25:39 ID:???

 一九一八年十一月十一日、ドイツが連合国と休戦条約に調印したことで、四年の長きに
わたった大戦が終結しました。戦争の結果、日本は債務国から債権国に劇的に転換できま
した。連合国の軍需品・食料品需要、アジア諸国などの日本製品需要、大戦景気にわくア
メリカの生糸需要、の三つの要因によって、輸出が急速に拡大したからです。まさに元老
井上馨が表現したように、大戦は国際収支の危機に悩む日本にとっては天佑でした。
 講和会議で日本が提出した要求は三点ありました。@北太平洋の旧ドイツ領南洋諸島処
分問題、A山東省利権継承問題、B人種差別撤廃問題です。@とAについては、第一次世
界大戦に参戦してゆく際の目的に直接関係する案件でしたので、理解しやすいですが、注
目したいのは三つめの問題、日本が国際連盟規約のなかに人種差別撤廃に関する条項を入
れようとしたことです。なぜ、唐突に人種問題が講和会議で主張されなければならないの
でしょうか。
 この問題は、深いところで日米対立の淵源となってゆく問題ですので、次に考えてみま
しょう。ランシング国務長官の回想などでは、日本が人種問題を提起したのは、日米間に
対立があった山東問題を、日本側に有利に解決させるための「取引」材料とするためだっ
たとの解釈が書かれています。


13 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 20:27:41 ID:???

 たしかにこれまで、民間には、国龍会、東亜同文会などの活動を通じた、アジア主義的
な人種連帯論がありましたが、日本政府レベルでみれば、その植民地政策に典型的であっ
たように、むしろ差別する側に立ってきた国でありますから、多くの国が日本の提案に当
惑したことは想像にかたくありません。なぜ政府内でこのような人種問題への措置を、連
盟規約に盛りこまねばならないとの機運が生じたのでしょうか。
 一つの経路は、連合国として戦争協力をなす際に、日本はその見返りとして、移民排斥
についての善処を期待するという構造ができあがりつつあったことです。たとえば、一六
年二月、イギリスからシンガポール方面への日本艦隊の派遣(巡洋艦四隻、駆逐艦四隻)を要
請された際、石井菊次郎外相は英国大使に対して、次のような「交換条件」を示していま
した。すなわち、@オーストラリアとニュージーランドにおける日本移民の排斥、Aオー
ストラリア政府が日英通商条約に加盟拒絶している問題(通商条約を締結すると、条約上の最恵
国待遇と移民法の関係が問題となるため、オーストラリアは加盟していない)、などの点について善処
を求めたのです。「帝国海軍が頗る大なる犠牲も吝まざる」のに対して、考慮を願うとの
文脈でありました。


14 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 20:31:55 ID:???

 同様の要求はアメリカに対してもなされました。たとえば外務省は、アメリカの対独参
戦に敬意を表するために派遣した、遣米特派石井大使宛ての一七年七月二十四日付の訓令
で、「在米帝国臣民に対する偏頗不正の待遇問題」改善に向けた折衝を指示しています。
外務省は不動産に関する権利の取得などにつき、日米両国は互いに最恵国待遇を与えるこ
となどを内容とする協約を締結すべきであると考えており、その訓令は「合衆国憲法の規定
する国際条約の効力を以て、各州の行動を掣肘する」方法をめざせと、明確に述べていました。
 一九〇七年の連邦移民法には、初めて日本人移民に関する条項(ハワイ、メキシコ、カナダ
など、米国本土以外を経由した日本人移民を排斥する条項)が挿入され、一三年八月からは、カリフ
ォルニア州において外国人土地法(帰化能力のない外国人の土地所有と借地を禁止する)が州法と
して実施されていました。さらに十七年の連邦移民法は、日本人以外の他のアジア諸国か
らの移民についてほぼ全面的に禁止するものであったので、日本側の憂慮は当然大きかっ
たはずでした。
 二つの事例からわかるのは、戦争をともに戦う見返りとしてある種の国際条約を締結す
ることで、日本が、いわば外の力によって、相手国の国内問題を牽制しようとする方式を
選択しようとしていたことです。


15 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 20:35:08 ID:???

 一九一八年十二月二十二日、原内閣のもとで、パリ講和会議に向けた人種差別撤廃問題
に関する訓令案が決定されました。そこでは、二つの論点から問題がとらえられておりま
す。一つは移民問題の解決としてであり、もう一つは、予想される国際連盟が反黄色人種
的政治同盟にならないように、「人種的偏見より生ずることあるべき帝国の不利を除去せ
んが為、事情の許す限り適当なる保障の方法を講ずるに努むべし」というものでした。
 後者の理由をよくみれば、人種的差別撤廃が、肌の色の違いによる人間の差別としてで
はなく、国家の差別という観点から要求されていることがわかります。また、前項でみた
ように、連合国として共同の行動をとった見返りとして移民問題の解決を図る、しかも、
ある種の国際的協定によって相手国の国内問題だとされる移民問題を抑えていくという姿
勢からも、国家の差別撤廃という観点が透けてみえます。
 一方で、パリ講和会議に臨む日本側の全般的な外交姿勢には、大きく分けて二つの流れ
がありました。一つは、全権牧野伸顕と首相原敬などに抱かれていた観点で、欧米との協
調主義的な外交、新式外交を日本は今後採っていくべきであるとの考え方でした。もう一
つは、同じ外交調査会のメンバーのなかでも、とりわけ重要な位置を占めていた伊東巳代
治(枢密顧問官)や後藤新平(寺内内閣の内相・外相)などによって抱かれていた観点です。伊
東らは、国際連盟は机上の理想論に過ぎず、欧米の一等国が現状維持を目的として二等国
以下の将来の台頭発展を抑えるための機関であり、公義人道をまとった偽善的一大怪物で
ある、と認識しておりました。


16 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 20:39:39 ID:???

 次に、牧野の新外交方針をみてみましょう。牧野は、出発前の一九一八年十二月八日、
外交調査会で発言し、まずはこれまでの外交について、厳しく批判していました。

  帝国従来の国際歴史上に於ける行動を見るに、或は正義公正を標榜し、或は機会均等
  門戸開放を声明し、又は内政不干渉日支親善を唱道するも、実際に於ては此等帝国政
  府の方針及至意思として表はるゝ所と日本の施設とは、往々にして一致を欠き、為め
  に列国をして帝国を目するに表裏多き不信の国を以てせしむるに至りたるは蔽ふべか
  らざる事実なり。                 (「外交調査会会議筆記」)

 これまでの日本の外交は言行不一致であり、日本は世界から信を失っているのだという
厳しい自己評価でした。この牧野発言の原案は、外務省政務局一課長小村欣一が書いたも
のであり、格調高い文書でした。小村の主要な提言の一つは、中国問題でした。中国問題
は必ず今回の会議の中心的な問題の一つになるので、日本は各国に率先して、「日支の真実
なる諒解親善の実を挙げ得る共益公正の方途」を示すべきであり、そのためにも中国に対
して、治外法権撤廃、外国軍隊の撤退、団匪賠償金(義和団事件の際、中国側が負ったもの)放
棄などを、率先して実行すべきだというものでした。


17 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 20:42:51 ID:???

 小村のもう一つの提言は、次のようなものでした。日本が講和で第一に考慮すべきは、
自由均等・正義に基づく平和保持の組織(国際連盟のこと)が、「真に人種宗教歴史国力等の
別によらざる完全平等の待遇」を、異人種異宗教国において実現できるかどうかの点であ
るとし、そのためにも中国問題で、以上のような公明正大な態度をとっていれば、この問
題もうまくゆくはずだとの判断でした。つまり、小村の考えによれば、中国問題に関する
公明正大な対処と、国際連盟における完全平等要求の貫徹は、相互補完的なものであると
とらえられていたのです。ですから、日本側が人種差別撤廃案を作成していく意図として
は、以下のような観点があったといえます。@各国が自国の国内問題であるといって逃げ
てきた移民問題を、国際的協定、具体的には連盟規約によって解決を図る、A予想される
国際連盟が反黄色人種的同盟にならないよう、予想される不利への保障を図る、B中国問
題などを公明正大に解決する日本の新外交方針を保障する、の三点です。


18 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 20:47:20 ID:???

 パリに到着した牧野は、ウィルソン米大統領とその参謀格であったハウスへの根回しを
経て、一九一九(大正八)年二月十三日、連盟規約案第二一条の宗教に関する規定のあと
に、人種的差別待遇撤廃の一項を挿入しようと連盟委員会に提案しました。訳文は「締約
国は成るべく速に連盟員たる国家に於る一切の外国人に対し均等公正の待遇を与へ、人種
或は国籍如何に依り法律上或は事実上何等差別を設けざることを約す」というものです。
明らかにこれは、日本の移民保護を念頭に置き、連盟規約上から法律上・事実上の差別を
撤廃しようとしたものでした。
 委員会では議長代理セシルによって、日本の要求は高潔な動機による案であることは認
められるものの、英帝国内において最も困難な問題を惹起する問題であるとの理由で、規
約案第二一条全体を削除する方向で処理されました。
 牧野が委員会に提出した案は、元来、二月五日、ウィルソンとハウスの手で修正を施さ
れた上ので文言でした。しかしこの後、ウィルソン自身、この規約案に対する寛容な態度
を変えざるをえない状況に追い込まれます。ウィルソンは、米国内の連盟反対論を説得す
るためにアメリカへ一時帰国します。しかし、帰米したウィルソンを悩ませていたのは、
上院の三分の一以上が国際連盟に反対しているという現状でした。事態は悪化しており、
その悪化要因の中心にあったのが、まさに日本全権の提起した人種差別撤廃案でした。


19 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 20:59:39 ID:???

 たとえば、二月二十八日、上院共和党(マサチューセッツ州選出)議員へのヘンリー・カボッ
ト・ロッジは、「連盟は一切の国際紛争を裁決する権限がある。したがって、移民問題も連
盟に付議されるだろう。しかし、移民や帰化の問題を、外国の決定に委ねるのは、まさに
国家主権の最も貴重な作用を放棄するものである。どの国も、国境のなかに入れたくない
人間の入国を拒む権利がある。このような規定はアメリカの主権を侵すものであり、内政
干渉もはなはだしい」と演説し、全体として、連盟規約案に対して、@モンロー主義に関
する留保、A移民・帰化問題の除外、B平和的脱退規定挿入などを要求し、批判を加えま
した。ウィルソンはこれに対して、アメリカの政治に関する内政干渉にあたる条項の削除
を約し、そのなかには日本の人種差別撤廃案も含まれていたのです。
 アメリカが最終的に連盟に加入しなかった経緯において、日本人の移民や帰化の問題が、
かくも大きな比重を占めていたことは、改めて強調されていいことでしょう。人種差別撤
廃案を考案していく際、国際条約の網をかぶせて、アメリカの国内問題を規制していこう
とする思考様式が、日本の当局者のなかにたしかに存在したことを想起すれば、アメリカ
上院の危惧も根拠のない問題ではありませんでした。こうして牧野は、規約を議する四月
十一日の最終委員会において、人種差別撤廃案を移民保護を含意しないかたちの文言に改
めた上で、連盟規約の「前文」に入れる後退を余儀なくされました。その結果、この文言
は、人種差別撤廃の一般的理念を語る、「各国民均等の主義は国際連盟の基本的綱領なるに
依り、締約国は連盟員たる国家の全ての国民に対し、平等且つ公正なる待遇の原則を付与
すべきを確認すべし」というものになりました。


20 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 21:05:53 ID:???

 本来は、移民に対する法律上・事実上の差別を撤廃すべきであるとの案であったもの
が、ここで連盟構成員たる国家の平等と、国民に対する公正な待遇を、漠然と要求するも
のに変化しています。裁決の結果、出席者一六名中一一名の賛成を得ましたが、五名は反
対しました。重要事項の裁決には多数決ではなく、全会一致が望ましいとしたウィルソン
の判断により、この修正案も前文に載せられることはなく、牧野の修正意見が議事録に留
められただけに終わりました。当初から最も強い反対が予想されたイギリス連邦諸国との
折衝もおこないつつ、しかし基本的に、まずはアメリカ大統領の理解を得ようとした牧野
の方策は、ウィルソン自身が上院からの強い反発を受けたことで、成功しませんでした。
移民や帰化は、国家主権の重要な要素であり、この国内問題が国際連盟規約で律せられる
ことを嫌う、アメリカ上院の意向が強くはたらいた結果でした。


21 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 21:08:59 ID:???

 アメリカが移民法という、ごく限られたチャンネルのなかで、日本を「低く位置づけ
る」態度がなぜ問題なのかといえば、それは単なる体面の問題ではなく、「武威の減少」
を意味するからだ、とも述べています。アメリカが日本を帰化不能外人として扱うこと
は、諸外国(端的にいえば、中国が想定されていると思われます)の日本に対する国力の過小評価
につながり、それは中国の日本に対する軽侮につながるので、かえって戦争の機会を増す
のだといっています。このような考察を展開していた参謀本部の一文書が、どのような対
処法を掲げているのか、次にみてみましょう。

  米国に対しては正義人道を以て主張の根本とし、徹頭徹尾国際条約違反を以て法律の
  無効を要求すべし。〔中略〕此事実は天下に宣明し国際法の威厳に関する世界の問題た
  らしむべし、要すれば国際連盟等に付議を試むるも可なり。


22 :私事ですが名無しです:2006/11/28(火) 21:15:34 ID:???

 大戦終結後と、一九ニ四年の違いはあれ、国際条約という観点からアメリカの国内問題
としての人種差別に歯止めをかけさせ、必要であれば、国際連盟に付議してでも、国際法
の威厳を守れと、述べているわけです。
 参謀本部の、ある一つの文書が展開している考え方を、日本全体に敷延させるのは無理
があります。しかし、ここで注目していただきたいのは次の点です。つまり、この移民法
によって新たに禁止される日本人移民の数が問題だったのではまったくなく、新たな排日
移民法は日本の武威についての、とくに中国が日本をみる際の評価にかかわることが問題
だとして、深刻に受けとめられていたという事実です。先にみたように、移民や帰化とい
うアメリカ特有の国内問題を、外からの国際条約の権威によって抑圧していくべきであ
り、抑圧してよいのだという参謀本部の発想は、アメリカの上院などが最も嫌うものでし
た。移民の法律上の差別を連盟規約で撤廃しようとするのは、内政干渉そのものだったか
らです。国家の主権にかかわることについては他国の干渉を受けたくないというアメリカ
の意思は、その連盟参加を左右するほど重いものであったことを想起する必要があるでし
ょう。


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