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皆にプロファイリングされるスレ

1 :私事ですが名無しです:2006/11/21(火) 17:44:21 ID:gcWXlnDg
まずは俺をプロファイリングしておくれ。
質問あったらどうぞ。
答えられる範囲でお答えしますぜ!

2 :私事ですが名無しです:2006/11/21(火) 17:45:19 ID:???
俺がどんな奴か当ててみてください(`・ω・´)

3 :私事ですが名無しです:2006/11/21(火) 19:35:10 ID:???
うんこぶりぶり

4 :私事ですが名無しです:2006/11/22(水) 07:08:30 ID:cXs65YtJ ?2BP(143)
俺を当ててみろ

5 :私事ですが名無しです:2006/11/22(水) 21:31:25 ID:???
>>4
童貞

6 :私事ですが名無しです:2006/11/23(木) 19:34:36 ID:???

人と好ましい関係を築き、それを維持し発展させる能力は子供のときに芽生え、十歳から十二歳の間に強化される。
しかしこの能力が身につかないまま思春期を迎えてしまうと、もはや手遅れだ。
その結果として現れる行動は殺人やレイプとはかぎらないが、人格的欠陥を示す他の行為が見られる。
不幸な子供時代を過ごして深い傷を負った人は、その後完全に正常な人生を歩むことはできない。
彼らはアル中の母親や暴力をふるう父親となって再びすさんだ家庭環境をつくり、
そこで育つ子供を犯罪へと駆り立てることになるのだ。

ポジティブな人間関係を築くためには社会的な技術が必要であり、これは性的な技術に先立つものだ。
しかし精神的なダメージを受けた男の子は、思春期になってもこの技術を身につけることができない。
独りでいることが多いからといって、殺人犯が内向的で内気とはかぎらない。
社交的で話好きな者もいる。だがそれは表向きの顔で、心の中に孤独を抱えているのだ。
ふつうの若者がダンスをしたりパーティーにいったりする時期に、彼らは自分の殻に閉じこもり、異常な空想にふけるようになる。
空想はもっと健康的な、人間との付き合いに代わるものだ。
そうした空想に依存すればするほど、社会的に受け入れられている価値観から離れていく。


7 :私事ですが名無しです:2006/11/23(木) 19:35:55 ID:???

日本は、不思議な国である。
電気・光学製品や車や半導体など、海外の市場が認めるブランド品を持っていて、
外貨準備もいまだに充分で自国の通貨も非常に強い、にもかかわらず、近代化を終えたという自覚がない。
理想的に近代化が終わり、内部には何の矛盾もないというわけではもちろんない。
理想的に近代化を終えた国など世界中を探してもない。どの先進国も内外に矛盾を抱えている。
近代化というのは、理想国家の実現ではない。
自国通貨が十分に強くなれば、国家は国民に対し従順で均一的な労働を強制する必要がなくなる。
近代化の途上で生まれた矛盾や差別はこの国でももちろん解消していない。
だが国民が一丸となって一つの目標に向かう時代はとっくの昔に終わっている。
それが近代化の終焉である。
大人たちは曖昧なムードとしてそのことを理解している。



8 :私事ですが名無しです:2006/11/23(木) 19:36:30 ID:???

約二十年前に円が対ドルで二百円を切った、そのときに日本の近代化は終わった、
近代化が終わるということは国家的な大目標がもう終わったということで、
そのあとは国家から個人へと価値観をシフトしていかなければいけない、
この国ではそれがまったくできていないし、それが必要だというアナウンスもない、
働くおとうさんはどんなにがんばって業績を上げても、会社以外では、家庭でも、
同窓会でも褒められることがないし、褒められないから生きがいも持てない、
日本人の中心的な感情は敗戦と近代化途上における“悲しみ”から、
国家的目標の消失の次に来るべき個人的な価値観と目標を未だに見いだせないという“寂しさ”に変わりつつある。
特に国家的目標に従って働いてきたサラリーマンや中小企業経営者のおとうさんは、
急に生き方を変えられるものではなく、ものすごい寂しさの中にいて、
それが寂しさだとも気づいていない人が多い

わたしはそういうことを取材した女子高生に言った。
そういう話は初めて聞く、というように彼女たちは一様にわたしの話に目を輝かせて聞き入り、
何だ、そうだったのか、と言った。

「だからオジンはわたしたちを買うんだ、寂しいからなんだ」



9 :私事ですが名無しです:2006/11/23(木) 19:37:12 ID:???

マッサーマンという実験神経症の研究家が猫に対する有名な実験をしている。
まず、猫を実験箱にいれ、中にセットされたボタンを押すと餌をもらえるということを憶え込ませる。
猫は空腹になると実験箱に入り、ボタンを押すようになる。
次に、あらかじめ猫を飢餓状態にしておいて、前と同じ実験箱のボタンを押すと
電流が流れるようにセッティングを変える。
飢えた猫は実験箱に駆け込んできて、ボタンを押すが、餌ではなく電流を与えられることになる。
猫に葛藤が生じる。餌をとりたいが、そのボタンからは電流が流れるのである。
猫は神経症によく似た症状を示し、次第に衰弱していき、やがて摂食の意欲を失って、餓死に至る。

マッサーマンの実験は神経症のすべての機序を説明しうるものではもちろんないが、
葛藤の概念を把握するのには役立つ。
葛藤というのは矛盾した欲求にさらされることだ。

現在のこの国の子どもたちのほとんどは、上記の猫と同じような状況に置かれている。
学校でも、家庭でも、親や教師から言われることは近代化の途上にあるときとまったく変わりがない。
あらゆるメディアがアナウンスしてくることも同じことだ。

いい学校に入れ、いい会社に入れ、女の子はいい会社で安定している人と結婚しろ

そうしなければいけないのだと子どもたちは思う。
その他の選択肢はどこにも見つからないからだ。



10 :私事ですが名無しです:2006/11/23(木) 19:38:48 ID:???

だが、いい学校に入り、いい会社にいる人がそれだけで幸せだとは
とても思えないムードがこの社会には充ちている。
価値があるとされる集団に属するだけでは、充実感がないのではないかと
子どもたちは無意識のうちに気づいている。
エリート中のエリートとされてきた大蔵・厚生官僚、銀行や証券会社のトップや幹部が
ご丁寧に繰り返しそのことを証明してくれている。
エリート的な集団に属することで人生が完結するのなら、なぜ彼らは高いリスクを犯して汚職に励むのか。
エリート的な集団の中でさらにエリートになることは、
それだけだったら本当はつまらないことなのではないか、と子どもたちは考えているはずだ。

テレビドラマやコマーシャルや映画や小説で、つまりすべての現実の表層において、
日本人の幸福の基準が変質している、と子どもたちは半ば強制的に気づかされている。
今この国で尊敬されているのは、家族を顧みず猛烈に働くサラリーマンではない。
コマーシャルに登場し微笑んでいるのは先端機器を上手に使いこなし余裕のある生活をして趣味を楽しむ人々で
あり、
雑誌のグラビアで賞賛されているのは、海外旅行によく行き、おしゃれをして、
スクーバダイビングやガーデニングやアウトドアライフを楽しむ人である。
女性でも、働く夫を支え家庭を守る主婦がテレビドラマの主役の座を下りて久しい。
実社会で働き高収入を得て、華やかな恋をして、人生を楽しむ女性だけが脚光を浴びている。

それではどうやってそういう余裕のある生活を楽しむ身分になればいいのか、誰も子どもたちに教えない。
とにかくいい学校に入れ、いい会社に入れ、言われることは相変わらずそれだけだ。
価値が既に認められている集団の中で生きていくこと、それだけを子どもに勧めることは非常に簡単である。



11 :私事ですが名無しです:2006/11/23(木) 19:39:46 ID:???

人間が成長していくときにはモデルが必要だ。
子どもは思春期を迎えるまで親をモデルにして育つ。
親の真似をして育つというわけではない。
親の生き方を見る以外に、生きていく方法を学ぶ機会がないということである。
親が退屈な生き方をしていると、子どもは人生を退屈なものだと思う。
繰り返しになるが、今のほとんどの子どもは、
「いい学校に入れ、いい会社に入れ」というアナウンスだけを聞いて育つ。
それは単に社会が近代化以後の価値観を持っていないからで、メディアが垂れ流す情報とは矛盾している。
いい学校に入り、いい会社に入っているだけで充実した人生を送っている人なんかどこにもいないことを、
ありとあらゆるメディアは日々競って情報として子どもたちに押しつけている。

子どもたちはそのような葛藤の中にいて、別の、あるいは個人的な新しい生きかたのモデルを見つけることができない。



12 :私事ですが名無しです:2006/11/23(木) 19:40:40 ID:???

現代を被う寂しさは、過去のどの時代にも存在しなかった。
近代化以前には、近代化達成による喪失感などというものがあるわけがないから、
わたしたちは、現代の問題を、過去に学ぶことができないということになる。
今の子どもたちが抱いているような寂しさを持って生きた日本人はこれまで有史以来存在しない。



13 :私事ですが名無しです:2006/11/23(木) 19:41:40 ID:???

人生は退屈なものだと親の生き方を見て決めつけている子どもたち、
抱える寂しさを誰にも相談できない子どもたちのなかで、異常な想像に囚われた一人が、
猟奇的な殺人を犯す、それをどうやって阻止すればいいのだろうか。
しかも「理想的な日本人」あるいは「理想的な家族」というモデルはもうどこにも存在しないのだ。

思春期の子どもは、知能の発達と情報量の増加の割に社会との接触が限られているため、
イマジネーションの力が強く、ときには残酷で異常な想像に囚われることがある。
十四歳の少年が、将来に希望を持てず、誰も自分を認めていないという疎外感を持ったとき、
自殺を含めた異常で猟奇的な想像に囚われるのは、大して珍しいことではない。
だが、それを実行に移すのはきわめて異常だ。



14 :私事ですが名無しです:2006/11/23(木) 19:42:10 ID:???

わたしは子どもが親をモデルとして生きると書いた。
それはもちろん、この十四歳の両親が殺人を奨励していたという意味ではない。
凶暴な想像力を解き放つ技術を教えられなかったのは確かだし、
自分の子どもに対する危機感は間違いなく希薄だった。
しかし、彼の両親や兄弟に社会的な制裁を加えることで、続発が防げるのだったら、
これほど簡単なことはないし、容疑者の少年一人を排除してそれで済むのだったら、
この問題をこうやって考える必要はない。
排除と制裁でこの問題に対処することは、実は現在の日本の一般的な家族のあり方を信じるということである。
逮捕された十四歳以外の一般的な子どもたちを信じるということでもある。
まともな子どもたちが大勢いることは認める。
しかし、残虐で、異常性を持つ「特殊」な生徒と、その他の「一般的な」生徒の「区別」は無効になりつつあると思う。
この国の子どもたちを批判しているわけではないし、批判なんかしてもしょうがない。
すべての子どもたちが置かれている状況にわたしは危機感を持っているということだ。

今わたしがこの国に生きる子どもだったら、想像力の暴走を阻止する希望を見つけるのは極めてむずかしいと思う。
今のところ実行したのはあの十四歳一人かも知れないが、
悪意や殺意を秘めた子どもたちは公園や路上にあふれているとわたしは思っている。
少年法を改正して、十四歳だろうが七歳だろうが死刑にできるようにしても、
今のこの国の子どもの悪意や殺意はなくならないだろうと思う。


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